消費文化の現在とその危険性
若者の消費文化、ことファッションに至っては今岐路を迎えている。
ギャルファッションなどのような独自のカタチに今ベクトルは向いておらず、ジェンダーレス、抜け感、こなれ感といった抽象的なシーンが目立つ。
nonnoなどの代表的な雑誌を見てもこの現象は散在して見られるだろう。
なぜか。
私は若者の消費に対する価値観が大いに変化しているからだと考える。
つまり、服の個性などよりも、場所や状況にあった服をチョイスしたがるのであり、コスパ、本当に必要なものかどうかなどが価値の大枠を占めるようになってしまっているののだ。
うん、非常につまらない。面白みがあまり感じられないよね。
なぜこんなことになっているかを検証するには、ショッピングモールの発展がもってこいだ。少し抽象的になるけど悪しからず。。
モール化することは記号的空間や物語性を弛緩し、空間のハードルを「ゆるく」する。
そうしたゆるい空間で人々はコストのかからない行動や思考を好む。
これはインターネットの普及により時間短縮、効率性などを消費のいわゆる楽しさと引き換えに悪魔に売ったことも原因の一つ。
日常に大衆化された文化やイデオロギーが蔓延っている例としてコンビニなどもその例である。
つまりは、コンビニ≒ショッピングモール≒都市≒国家であり、
無論、我々はその国家のもとにある国民だ。
すなわち我々は大衆文化の思想をもろに国から刷り込まれた都合の良い消費者である。
(こうした背景には企業がマーケティングしやすいように作り上げた経済システムがあり、我々は常にそのことを注視しながら生きる必要があると個人的には思っている限りであります。。。)
いずれにせよ社会から個性を還元しようとするのには少々難解な時代とだけは言えるだろう。
こうしたモール化する社会をつまらないと感じるのは私だけだろうか。
今後の消費文化の行方にそっと目を向け続けていたいと思う。