やりたいことリスト2019
【コンセプト】
【年間目標】
■電博・コンサルファーム内定 S
■風邪をひかない A
■TOEIC900点以上取る C
■映画を50本見る A
■小説を月に1冊以上読む A
■ビジネス書を月に3冊以上読む A
■週報をつける A
■自己分析を就活生トップ1%の枠に入れるレベルでやる。自分の人生のアジェンダを明確にする S
■坂本龍一のピアノ「戦場のメリークリスマス」弾けるようなる。 B
【日常】
■習慣改革
■マイナスリターンを減らす A
→目的のないYoutubeをやめる
→自分の行動をハンドリングする
→毎日NewsPicksで5Picksをする。
→ゲームを一切しない
■プラスリターンを増やす
→筋トレする
→毎日寝る前に1時間自分とアポを取る
→SNSを毎日30分以内にする
■週に1本映画を見る
■常に意識を自分に向けた行動をする
【お出かけ】
■足立美術館に行く
■ドイツに行く
■NYでブロードウェイを見る
■帝劇に3回以上行く
■小劇団の舞台を見に行く
【教養】
■年間12本映画を見る
■美術館に12回以上行く
■大学の教授10人以上と飲みに行く
■研究で優秀論文に選ばれる
【欲しいもの】
i Pad Pro(12ー15万円)4月まで
名刺入れ
映像スキル・コピースキル・お金を生み出す普遍的なスキル
3年生の夏休み(今の気持ちを思うがままに吐露)
最近、ダメな自分に覆われている。
就活を通して自分と向きわなければいけないはずなのに、ちっとも自分と向き合うことができていない。
すっかり腐ってしまっている。新鮮さを売りにして新卒として今後社会に出ていくべきなのに、ちっともその思考やマインドは新鮮ではない。
この腐ったマインドを少しでもより良いものにするために必要なもの。それは、人生のミッションである。
人生のミッションを見つけることができれば、おそらくトップダウン型でミッションに対してやるべきことを整理して行動に移すことができるだろう。
しかし、自分の人生のミッションたるものを見つけ出すことが正直今の所できていない。
自分の使命は何か。
もはや、使命という考え方自体が時代に即していないのではないか。
そんなことすら考えてしまうほど、今の時代はグローバルで、ある程度インフラは整っているように感じるのである。
自分じゃなきゃダメだと思うことができるものを見つけ出すことに固執しても正直仕方がないだろう。。
もっと、自分がやりたいこと。やってみたいこと。それで幸せだと心から思えることに全力を注いだ方が良いはずだ。
ワークアズライフを実現することがまず必要だろう。
結局、インプットだけではひとは飽きてしまうだろうし、特に自分は男のロマンを追い求める必要がある。
人生を振り返った時によくぞやったと思うことができるような自分になっていたい。
自分が自分を認めることができる日がいつなのかわからないが、少なくとも今の自分は未完成そのものだ。
何をして未完成なのか。目標すら立てられていない。信念を持って生きることができていない。
結局今就活に向き合うことができていないのは現実逃避だろう。
現実を見れば、就活をすることで自分の人生がある程度見えてしまう。
想像できる自分の将来には期待できない。
おそらく自分は特別だというマインドが心のどこかに眠っている。
決してそんなことはないのに。凡人だからこそ、やらねばならない。
凡人だからこそ輝かなければならない。
エイトさんの哲学を今一度インプットして雑念・ノイズはすべて破棄して今やるべきことにフォーカスするべきだ。
おれは将来何をしたい?
誠実に生きろ。
言っていること・思っていること・やっていること。
すべてを一致させること。
それが一番の近道だ。
最近NARUTOにはまっている。
彼の名言にこうある。
「まっすぐ自分の言葉は曲げねえ。それが俺の忍道だ。」
自分もまっすぐ自分の言葉を曲げずに誠実に生きていこうと思う。
就活大戦争
就活生として、大きな門戸を叩かねばならない時期が刻々と迫ってきているわけである。
いわゆるモラトリアムという消費期限が愈々切れかかっているというわけだ。
今まで社会というものに対して、とりわけ社会問題というものに対して、感度の非常に低かった自分は、これからまず就職活動という枠組みを通して
社会とは何か。
自分とは何かというものについて深く考えていかねばならなくなる。
さて、そこで、特に社会のことも、企業のことも、社会人としての生き方もロクに考えてこなかった自分が浅はかな感度から思う志望業界と、志望会社を挙げておこうと思う。
言わずと知れた、広告代理店は今の自分から見て非常に魅力的に映る。
理由としては、面白い商品と言うよりも、商品やサービスを広告という形をとったコミュニケーションによって伝えるという形に魅力を感じるからである。
この業界に入ればおそらくだが、自分はコミュケーションの本質を学ぶことができるのではないかと踏んでいるのである。
次点として、商社、コンサルが挙げられる。
そもそも、就職活動をする点において、自分自身絶対に、東京から離れたくないという意志がある。転勤などとは無縁の人生を歩んでいたいのだ。もちろん理由があり、自分の人生を会社の意思によって、大きく揺さぶられるというのはあまりにもナンセンスだと思うからである。
向上心の強い自分は、常に意識の高い仲間と切磋琢磨し、時には世界を見据えることのできる男にならねばならないのである。
そういった点において、この二つの業界は自分自身の社会的価値を高められるだけでなく、なおかつ自分自身のスキルアップも同時並行で早い段階でできるのではないあkと感じているのである。
ひとまず、この三本で業界は見ているが、エンタメ系にも強い興味はある。
いずれにせよ、新年度を迎える前の大学2年3/27の今日、ブログに記したことが将来振り返った時、どのように映るのか。
それだけが楽しみである。
何もない自分が何者でありたいのか
自分ははっきり言って人生に明確なミッションを持っていない。
というのも、信じていた夢が高校時代を境に破れたからである。
そしてそれから早一年半、何となくミッションを持つこともなく、だらだらと過ごしてしまった。
そろそろ、本格的に自分が今後どうしていきたいのか、何に興味があるのか見極めなければ行けないように思う。
だからこれから少なくとも大学卒業まで毎日ブログを書く。記事数は800記事を超すはず。そこまでアウトプットすれば今の思考も少しはシンプルになるだろう。
自分は何に興味があるのだろう。
何をしているときワクワクするのか。
サッカーしているとき、音楽を聴いているとき、読書、好きな女性と一緒にいるとき。。
つくづく平凡。。。
逆に何をしてみたいか。
自分の力でお金を稼ぎたい。
信じられないくらいの美女を複数自分に惚れさせたい、全ての女を選べるようになりたい。
社会的に成功しているカッコいい人達、自分が魅力的だと感じる人達と共に時間を過ごしたい。
自分が体験したい全ての快楽の果てを享受したい。
誰にも負けない社会的に、資本主義社会において価値を生み出せるスキルを身に付けたい。
まず、1つ目から自分で稼ぎたい。
いくら?いつ?どうやって?
今思いつく手段は、ブログ、アフィリ、FX、投資、バイナリー、起業、スキルを認められ企業にjoin、個人活動家としてスポンサーつける。
現実的なのは、ブログ、アフィリなど個人でできること。
社会的に必要とされる人間になるためには起業や企業でjoin、個人活動家だろう。
やるならまず今日から。何にしようか。
1円でもいいから自分で稼ぐことに意識を集中させる。
2017 10/13〜10/31 で1万
11/01〜12/31 で10万
達成する。
自分に向いてそうな個人でできる稼ぎ方を決める。正直どれも時間かかりそう。
1番早いのはnote、アフィリ、ブログをまとめてやることかな。
自分のアカウントをブランディングして儲ける。そんなに中身がないからマネタイズできるかわからないけど、本格的にSNSでどのようにブランディングすればいいのか考えることは重要だろう。
将来、副業のベースにすることが目的かな。
それに加えて、ビジネスのベースを学ぶ。自分が憧れる人、やりたいことがやれてる人たちが多くいる環境に飛び込む。
信じられないくらいの美女を複数自分に惚れさせるは?
恋愛の勉強→行動→FB→勉強→行動→FBの試行を重ね、実体験として体系化し、シンプル化させる。
ついでに魅力的な男になれるからこれは目標設定としてとても有効だ。
信じられない美女を抱くというより、惚れさせたい。もちろん抱くけど笑
イメージは?そうだな、有村架純、小松菜奈、白石麻衣、川口春奈みたいな清純派、透明感抜群のトップ美女を抱きたい。
後はエマワトソン、ミランダカーみたいな海外美女も抱きたい。
明確にそうした美女を抱いている自分をイメージすること、具体的に、できるだけ鮮明に想像すること。
そしてそこに意識を持って行けば抱けるようになるはず。
そこに目標設定をして、それを達成するために何をすればいいのか考えて生きる必要がある。
少なくともアルファメールにならねばならないことは必然だろう…。
実際に自分が体験せねばならない。
ルックス、ファッション、ハイブランド、仕事、人脈、友人の質、社会的地位、人間としての本質的強さや魅力。
次は自分が魅力的だと思う人達と時間を過ごす方法。
そのために必要な要素は何だろう。
・信念があること
・実績、やっていることがその人達から見て面白いこと、社会に、その人達に対してアウトプットしていること
・環境が近いこと
現状考えるのはこのくらいだろうか。
最高の快楽を知るためには情報の本質をつかむことと、金稼ぐ、無理だと言われるような目標、夢を達成すること。社会的に成功し、承認欲求を完膚なきまでに満たすこと。
体験し続けること、やりたいことをやり続けることだろう。
現状、快楽になるもの。
最高の美女から欲しがられる自分。
天才や社会的に成功している一流から求められる自分。
人から羨望されること。
何千万人、何億の人達にポジティブな影響力を放てる男。そして強い男。
どんなスキルを身に付けたいか?
まずは哲学、、まずは?
際どいな。まずは金を稼ぐスキル。
実績。
リーダーシップ、コミュニケーション力、ロジカルシンキング、問題解決能力、個性的なセンス。
全て今から身に付けられるはず。
まずは自分が面白そう、やりたいと思うサークルや団体にjoin。
その中でリーダーシップ、コミュニケーション力、ロジカルシンキング、問題解決能力を磨く。
個性的なセンスは常にSNSや実社会、自分の生活圏でアウトプットして確立していく。それに尽きる。
2017年の上半期が終わったらしい
どうやら2017年の上半期が終わったようだ。
拙者は日本一素敵な男になるというハタから見れば極めて乱雑で曖昧な、阿呆くさい目標を信条に生きることを決めているものだから必然的に日々求められる行動の質も高まるのである。
この目標が自身の理想のアイデンティティを形成する為には、もっぱら理にかなっていると考えるのは私だけだろうか?
まあいい。
何れにせよ今回この記事を書くというのはブログの方向性を定めていないからこそ書けるのであるから思う存分日記形式で言葉を綴る。
では、本題へと移ろう。
2017年は決意を新たにして、再び船出をする所から始まった。
去年の自分は大学生という裁量のほとんどない自由を手にしたものの、その使い道に悩んだ。
考え、行動することをしなかった。
この体験は我が人生において初めての黒歴史だ。
光の灯されていない箱の中に閉じ込められ、ひたすら呼吸の仕方を探しているような日々。
生きる意味が分からなかった。
今死んでも何も変わらないのではないか。
むしろ。
むしろ、今自発的に死を選んだ方が、美しい死を遂げれるのではないか。
そんな事を本気で考えていた。
そんな状態からのスタートだった。
あれから半年が過ぎ、今の僕はどうか。
周りの友達が皆羨ましがる最高に可愛くて、美人で、優しくて、夢を持つ、素敵な女性と付き合っている。
大学で入りたかった第一志望のゼミに見事合格した。
このブログを読んでいる人はどう感じるのだろうか。
今の僕はあの頃より少なくとも幸せだ。
ただ、幸せより楽しみたい。
もっと高次の世界を見たい。
そして、、
日本一素敵な男になりたい。
こんな夢を持つようにまでなった。
僕は生まれてから1度も自分に満足したことがない。
楽しさにも満足したことがない。
刺激を常に欲しがっているのだと思う。
明確な、具体的な満足感に浸る日が来るとは今の自分に想像できない。
もちろん、瞑想や筋トレ、フローしている際にそれに近いものを感じることはあるがそうではないのだ。
刹那的な快楽を求めているだけかもしれない。
しかし努力ありきの刹那的な快楽ならばそれは幸福に近いはずだと思う。
快楽から幸福を感じ、より高い次元の世界へと進む。
それが今の自分にとっての世界なのである。
LALALAND 感想 夢と愛のファンタジー
先日、今話題沸騰中のLALALANDを観てきた。新宿のTOHOシネマ。いつもと同じ場所だが、今回は席が取れなかったので、余っていたIMAXの最前席で鑑賞。画面がでかくてなかなか疲れた。まあそんなことはどうでもいい。早速感想を述べていく。
率直に言うと良かった。この自分が意味する「良かった」は短絡的な意味ではない。
この映画の主題としている部分は愛と夢の揺れ動き、その不確実性だと個人的には見受けられた。
観客の感情を動かす演出が比較的多く使われており、その表現が多岐にわたり、かつ多角的であるがゆえにストーリーの内容に改めて目を向けてみる機会が失われやすいように思える。すなわち、ストーリー自体は極めてシンプルで、ある意味「よくあるような」内容だということ。偏りのないシンプルなストーリーだったからこそ、主人公と同一化しやすいからこそ、大衆の心を鷲掴みにし大ヒットへと繋がったのだ。
いい映画には賛否両論がつきものだとどこかで聞いたことがあるが、この映画も然りだろう。そもそも映画の役割とはなんだろうか。観客が何を求めて映画を見るのかによってLALALANDの評価は分かれるだろう。。。
ー少しネタバレ的要素がこの先随所見受けられるのでまだ見てない方は注意してください笑ー
映画はまずスタートからバリバリのミュージカルで始まる。もう目一杯の。
ハイスクールミュージカルを彷彿とさせたね、最高に破壊力あって豊かな演出に富んだミュージカルだったのでうわこりゃすげー!!!
と馬鹿みたいにニヤつきながらそのシーンを楽しんだ。それとともにゴリゴリのミュージカル映画なんだろうなと頭の片隅で予想を立てる。
その後も何度かスーパーミュージカルなシーンはあったんだけど、圧倒的なインパクトを受けたのは最初だったなという印象。つまり最初が一番爆発的だったためにその後の展開に期待しすぎた感が否めない。
なんて書いてた。。
古い記事、、ふにゃふにゃ。。
ひどいね笑
おやすみなさい。
消費文化の現在とその危険性
若者の消費文化、ことファッションに至っては今岐路を迎えている。
ギャルファッションなどのような独自のカタチに今ベクトルは向いておらず、ジェンダーレス、抜け感、こなれ感といった抽象的なシーンが目立つ。
nonnoなどの代表的な雑誌を見てもこの現象は散在して見られるだろう。
なぜか。
私は若者の消費に対する価値観が大いに変化しているからだと考える。
つまり、服の個性などよりも、場所や状況にあった服をチョイスしたがるのであり、コスパ、本当に必要なものかどうかなどが価値の大枠を占めるようになってしまっているののだ。
うん、非常につまらない。面白みがあまり感じられないよね。
なぜこんなことになっているかを検証するには、ショッピングモールの発展がもってこいだ。少し抽象的になるけど悪しからず。。
モール化することは記号的空間や物語性を弛緩し、空間のハードルを「ゆるく」する。
そうしたゆるい空間で人々はコストのかからない行動や思考を好む。
これはインターネットの普及により時間短縮、効率性などを消費のいわゆる楽しさと引き換えに悪魔に売ったことも原因の一つ。
日常に大衆化された文化やイデオロギーが蔓延っている例としてコンビニなどもその例である。
つまりは、コンビニ≒ショッピングモール≒都市≒国家であり、
無論、我々はその国家のもとにある国民だ。
すなわち我々は大衆文化の思想をもろに国から刷り込まれた都合の良い消費者である。
(こうした背景には企業がマーケティングしやすいように作り上げた経済システムがあり、我々は常にそのことを注視しながら生きる必要があると個人的には思っている限りであります。。。)
いずれにせよ社会から個性を還元しようとするのには少々難解な時代とだけは言えるだろう。
こうしたモール化する社会をつまらないと感じるのは私だけだろうか。
今後の消費文化の行方にそっと目を向け続けていたいと思う。